
マナ・ファーム
三重県おはようございます!
いつも投稿見ていただきありがとうございます!
先日、冬季淡水の田圃へ行き
じっくりと水面を見ては
さまざまな大小の動植物が居るのを観察して
循環を感じていました。
自分が生かされているのも
お米をはじめ様々な動植物達を頂いているからです。
そのお米も、動物達も
この様な小さな動植物達の営みの上に成り立っている。
命とは何でしょうか。
お考えになられたことが一度はあるテーマと思います。
小さな頃、自然の中でたくさんの生き物と戯れながら 自分は命とは何かを学びました。
川にはたくさんの魚や昆虫がいて
自分はそれらを探すのが大好きでした。
そして捕まえるだけじゃなくよーく観察をして
どうしてこんな形してるのかな
何を食べているんかな
どうやって動くんかな
よくよく観察していたら一日なんてあっという間に過ぎて行きました。
カマキリを捕まえてバッタを食べさせたり そんな命を粗末にしてしまうようなこともしていました。
けれどカマキリにとっては生きながらえる食を貰っていたことになります。
自分達も毎日たくさんの「命」を頂いて生きています。
それが生きているということ。
自分は大自然の中からそれを学ばせて頂きました
そして成人し、農を学び今、思うことは
「命」とは
別個で存在することの無い繋がったものの一部分(集合意識の命)と思うに至りました。
農を学ぶと土が何でできているか学びます。
土はたくさんのミネラル(石、水を含む様々な鉱物)、植物達の死骸、動物昆虫達の死骸
そして そこに住む、動植物昆虫、微生物たち、たくさんの種で出来ています。
そこでの営みは
ミクロとマクロの循環と食物連鎖と生と死と それらが混在して有るという事を知りました。
だから「部分で存在していること自体が不自然」
なんです。
それは自分たち人間も全くそうなんですね。
人は間違った考えをすると自分は1人なんだ、と思うことがあります
でも、そんなことは絶対にありえない。
知らない、解っていないだけで、あなたも循環の中に生きているんです。
だから、大きな視点からいえば、命というものは地球の一部分だということ。
人の命と自分の命の境目は実は無いんですよ。
スピリチュアルに聞こえるかもしれませんが、そうではないんです。
相手は鏡とか引き寄せの法則とか言いますが
それは大自然の中では当たり前に起こっています。
人がそこから離れすぎただけ。
だから忘れただけだと思います。
農を学ぶということは、それを思い出す作業なのかもしれませんね。
だから私は、人のために生きたい。
人様の為に 健康を作り続けたい。
そして同時に
大自然やあまたの命に教えて頂いた貴重な経験を
それを彼らが健全に生きる手助けをする為に使いたい。
あなたの命は 何に使いますか?
長文お読みいただきありがとうございます。